インタビュー (2013年)*1 :アンケ・ケンプケス*2

アンケ・ケンプケス(以下「AK」):
私たちはこれまで何度も何度も英国の美術界で会ってきました。あなたに会うのはいつも偶然だったけど、私たちはその度にとても熱心に話し合ったことを記憶しています。そして、昨2012年の秋にロンドンのウィルキンソン画廊であなたの素晴らしい個展Ground and Ungroundを観て、私はあなたと一緒に仕事をする時が来たと強く感じたのです。

とはいえまずは最初から話をしましょう。あなたの少年・青年期から大人になりたての頃までのお話には18世紀の小説の趣があります。英国サセクス州で農家の少年として育ち、孤独な子供時代、幻想の世界をさまよい、長じて航空機産業の工場労働者になり、少々風変わりなエンジニアに、そしてイタリアの警察では英語教師として苦労し、それから夢を抱いてアルゼンチンに渡るも夢破れ、ありがたくない冒険の道に迷い込む。それからついにあなたは、必要な要件を一切満たさないにもかかわらずオクスフォードのラスキン美術学部に入学を認められるという信じられない跳躍をします。「工場労働者オクスフォードに入学」は全国紙の紙面を飾りました。

あなたのたどった歩みから私はある文化的な典型、例えばヴォルテールの『カンディード(あるいは楽観主義説)』*3を連想します。あなたはカンディードのようにナイーブで甘やかされていない、想像力の旺盛な子供として人生をスタートし、成長するにつれて社会環境もアイデンティティも劇的に変わる旅路をたどります。時に苦難に直面し、特に大海原の流木のように漂い流される。それと同時に、あなたは決してくじけることなく人生行路を良くしたいという楽観的な希望、アーティストとしての情熱を持ち続けふくらませてゆきます。カンディードのように、あなたは影響力をある人たちを魅了し続け、野心的な知識人や博愛的な貴族の保護を受けることになります。まるで18世紀のロマン主義の主人公のように。

マーク・アレクサンダー(以下「MA」):
僕は生まれついての楽天家なんだ。僕の人生行路のモデルなら、カンディードよりサッカレーのバリー・リンドンかフィールディングのトム・ジョーンズに波乱万丈をもう少し付け加えるといいんじゃないかな。君が触れた僕の人生行路は英国のクレイグ・レインとアダム・サールウェルとのインタビュー*4で語られたものだね。

僕はグロースターシャーの農家で生まれ育った。うんと幼い頃から想像の世界が僕にとっては避難場所だった。同世代の子供と同じように、僕はロビンソン・クルーソーのテレビドラマにとても影響を受けた。僕は自分のことをまるで誰かほかの人のことのように話すとよく言われる。まるで物語のように話すからね。自分で人生やキャリアを拓いてきたというよりは、いつも自分の手のひらを開いていて、そこに蝶々がとまったらそれをつかんできたんだ。誰の文章か覚えていないけど、よく覚えている言葉がある。「希望を定義するとすれば、それは何でもうまくことが運ぶということではなく、物事がどうなろうともそれに意味を見出せるということだ。」ロビンソン・クルーソーから学んだのはたぶんそのことだと思う。

これまでの人生を振り返ってみると、強い衝動と現実主義の不思議なミックスに導かれてきたと思う。僕はいつも働いてお金を稼いできたけど、共通しているのは僕の周囲の人間が僕のことを信じるように仕向ける何かがあったということだ。それが僕の人生の共通項だと思う。それが何なのかは僕にはわからないし、わかりたいとも思わない。それはヤスデが自分の脚の数を数えようとすることだからね。頭を使いすぎて結局動けませんでしたということになりかねない。でも、周囲の人が僕のことを信じてくれたおかげで僕には自由とチャンスが与えられたんだ。

僕のキャリアは銀細工師の見習いから始まった。長い間工房の砒素に侵されたんで銀細工師が病気になってしまい、その仕事は中断した。砒素を洗浄剤に使っていたんで長い間に彼の身体に蓄積されてしまったんだ。それで僕は工房を辞めて工場で製造ラインの機械を操作する仕事に就いた。工場で僕は監督になったけど、その後工場を辞めて機械部品の表面をデバリングする仕事を自営で始めた。「アレクサンダー・デバリング」と書かれた名刺を拵えた。それを見て僕の名前だと勘違いした人がたくさんいたよ。

それからグロースターシャーの航空宇宙企業で3次元の計測器を使う仕事をした。戦闘機や宇宙ロケットの部品まで扱ったよ。製品がきちんと作られているかどうかをチェックして、OKを出すのが仕事だった。確実性と確信というのも僕の性質だね。

それから僕はアートの勉強をしにオクスフォード大学に行った。ダビッドの「馬に乗るナポレオン」の模写を見せた。僕が訪ねていった学部は進歩的で理論的だと評判だったけど、模写だけではオクスフォードだけでなくどこの美術大学にも入れないと言われた。オクスフォードで力を持っているのは学部ではなくてコレッジだと友達が教えてくれたので、ハードフォード・コレッジのトップに会いに行った。カオス理論で知られた数学者のクリストファー・ジーマン卿は僕に会ってくれた。仕事で数学を使っていると話したら、彼はややこしい定理か何かがびっしり書かれた黒板を指差した。じっくり見たけど何もわからなかった。よくみたら角の所が少し消されていたので、「よく解けません。データの一部が足りません」と言ってみた。彼はその箇所を見て僕が正しい推論をしたと思ったんだろうね。それから学部に電話をかけて来週から僕を入学させると言ったんだ。それで僕は入学できた。本当に幸運だった。優等で卒業した。

AK: 今話されたことはすべてあなたが語ったとおりに起こったんだと思います。でも、自分の人生を物語ってゆくうちにリアリティが薄らいでゆくように感じたことはありませんか。お話が意図せざる文化的戦略になってゆくというか、あなたが遭遇した社会的な環境や条件の媒体になってゆくというか。農村階級、弱者、エンジニアリング、教育制度、警察、知識階級、貴族、美術界、さらに社会全体の媒介になってゆくように感じたことはありませんか。

MA: 僕は説得しようとしたことはない。いつも率直で屈託なくやってきた。でもすべて本当に起きたことなんだ。そのことを話す話し方が率直で屈託ないんだ。文化的戦略のことでいえば、それは誰がどのように語るかが大事なんじゃないかな。2005年は英語圏最高の詩人たちが僕にインタビューしてくれた。物語は媒体であって、範囲が広ければ広いほどそこに意味や意義を見出したり付け加えることができると思う。幸運であること、あるいはそう見えることは魅力的だし、話が面白ければいっそうそうだ。美術界について君はたずねたよね。僕の話に固有のエネルギーがあるとすればその質問はもっともだろう。でも僕は自分の仕事はとても真面目に考えていて、それはどの仕事でもそうなんだ。僕は心配性でね、特に細かいことが気になる。仕事に取り掛かかるときはいつも面白いことになるなんて思わない。実際、工場で働いていた時はただ監督になりたかった。夜に工場に忍び込んで古い機械の調子を良くした。おかげで僕の班はどの班よりも成績が良くなったけど、誰もその理由は分からなかった。とてもうまくやったけど、それは謎でもなんでもない。ただ必要なことをしただけで、僕にはそれができたということだ。

AK: 1997年頃に絵を描き始めますね。オクスフォードに提出したダビッドの「馬に乗るナポレオン」の模写に続くあなたの最初期の作品は、あなたが通っていたオクスフォードのテイラー図書館の地霊(genius loci)に触発された謎めいた白黒の作品です。

MA: そうだよ。壁一面が本で埋まった小さな図書館だ。その頃生化学の研究をしている女の子と付き合っていた。アパートにはDNA配列の写真がたくさんあった。図書館の窓のプラスティックのブラインドには小さな刻みがたくさん入っていて、それ自身のDNA配列を示していた。南向きの窓だったので日光が刻みを通して差し込んだ。まるで知識の祭壇のようだった。今でもあるよ。

AK: それからあなたは大きな祭壇を描くという野心的な、究極の企てに取り組みます。しかし、あなたが広く知られるようになったのは、2002年のバーゼル美術ホールのグループ展Painting on the Moveに出展されたジャスミン(1997-8年)です。あなたの作品は若い女性の顔を描いています。その眼はルネッサンス期の天使のように敬虔に高みを見上げています。ドラマチックな陰影は現代のオリエンタリズムとゴシック様式を思わせますが、ストレートなリアリズムはどこか人を不安にさせます。この有名なジャスミンはあなたを美術の世界に導いたあなたの女友達の肖像です。「彼女は私に美術の世界の見方を教え、美術とは何かを教えてくれた。美術とは花をコピーすることではなく、アイデンティティを探し求める人々のこと、アーティストと鑑賞者のことであると教えてくれた。意味を探し求めること。(中略)描くことで対象により大きな力を与えることができると思った。」*5
この作品は明らかにそのモチーフ以上のものを示しています。それはあなたにとってのモナリザであり、イニシエーションの寓意であり、アートの鑑賞者が多くの思考を注ぎ込み詮索する事柄、つまり人がいかにしてアーティストになるか、そしていつそのことが表明されるか、を示していますね。

MA: とても興味深い質問だね。アーティストによっては作品がそのことを示す。1990年代後半にロンドンのデルフィナスタジオ*6 に自分のアトリエを構えていた頃、僕はキース・タイソン*7 やウアス・フィッシャー*8 とそのことを際限なく議論したよ。「傑作」を探し求めて見るようになったのはその頃からだ。彼らには僕はとてもナイーブに見えたと思う。でも、画家は自分の出発点についてよくわきまえておく必要がある。その頃僕はアートには軌跡と方向性があるものの、他のものと同様にいまやバラバラになってしまったと思っていた。でもその頃僕は傲慢にもリヒテル*9 より上手に描きたいと思っていた。それは、リヒテルが見落としたと思った情緒的な力を追求することだった。対象を支配するクールさ、冷たさではなく、僕を支配するものを描こうとしていた。ほんの駆け出しで、生意気にも自分が追求できるものを見ていると思っていた。でも、ギャップを追求しやり遂げること、それは皆がしなければならないことだと思う。

AK: イーサン・ワグナー*10 はかつて、あなたの作品が「孤立しており」、あなたの作品の前に立つと人は孤独に陥るが、「それこそ彼が求めていることなのだ」と書いています。*11 あなたは時間をかけて、繊細な技術を用いて最高点を目指して粘り強く描いてこられました。2009年にあなたが取り組んだプロジェクトは新作を待ち望んでいたファンを驚かせました。ベルリンでの個展The Blacker Goldにあなたは盾(Shields)と名付けられた巨大なコルテン鋼*12 の輪を制作しました。「クレタ島古代ミノア文明のデザインをモチーフに、ロケットブースターの軸受け、見えない盾や巨大な望遠鏡のレンズを連想させるこの作品は、鉄器時代の環状列石や墓地のように横たえられている。」*13

この沈黙の巨大な構築物の展示はあなたの作品が繰り返し発してきた強い感覚、つまり鑑賞者が作品に全く孤独に対峙するという感覚を劇的なほど物理的に示しています。それはリチャード・セラ*14 の鋼鉄の1枚板に似ていなくもないけれど、あなたの作品のフォルムには異教の神話との結びつきが感じられ、そのために作品からは現代の工業世界の車輪のイメージが感じられません。しかし、あなたがモーター工場の職長や監督、品質検査官、デバリング、そしてエンジニアとして働いた経験を思い起こせば、私はマルセル・デュシャンの機械の時代の寓意を連想します。デュシャンが作品に「独身者の機械」、「グラインダー」、「リンゴ酸の金型」といった素敵な名前を付けたことはよく知られています。ただし、デュシャンが新時代の幕開けに深遠な文化的な機械を構想したのに対して、あなたは作品によりストレートで即物的にあなたがアートの世界に入る以前の職業体験を盛り込んだのです。

あなたは盾の作品にあなたのエンジン製造の世界での体験を直感的にデュシャン風に移植したと感じていますか。あなたの最近の別の作品のタイトル「すべて機械が世話してくれる、または無限の恩愛」はこのような考え方を示唆しています。それとも、あなたにとってこの作品を通じてあなたがもともと働き生きていた工場の世界、機械と物理的なインパクトに再び触れることが大切だったということでしょうか。それとも、あなたはアートへのアイデンティティを語っていたのでしょうか。つまり、かつてあなたがいた世界から守る盾として。この鋼鉄の彫刻作品は今もとてもユニークな作品です。

MA: あの輪は僕にとって転換点だった。あれは8年にわたって取り組んできたプロジェクトから自分を切り離すための手段だった。同じベルリンでの個展で展示されたアキレスの盾シリーズは、「偉大なる作品」を描くというプロジェクト、の最後の結実だった。挑戦的な子供である僕自身の顔を黄金で描き、それが黄金の太陽の光の炎に包まれている。作品は立派に仕上がったけれど、この黄金のプロジェクトに取り組んだ日々は大変だった。宇宙航空産業の工場で働いていた日々に戻ったようだった。巨大な発射機の輪はロケットが宇宙で2つに分かれるようにするものだ。僕は仕事に区切りを付けて、自分の古代ミノア文明への思い入れに形を与えすっきりさせたかった。コルテン鋼はまるで輪が大気圏に再突入したように赤く焼けただれた色をしている。アキレスの盾の絵画はごく軽やかで繊細なシルクスクリーンで制作した。うまく言えないけれど、僕はアート史に参入したいという気持ちがある。「すべて恩愛に満ちた機械が世話をしてくれる」というドキュメンタリーを観ていた。英国の監督のアダム・カーティス*15 はこのドキュメンタリーでコンピュータが人間を解放する代わりに人間の世界観を歪め単純化してしまったと主張した。このタイトルは動物とコンピュータが一緒に遊ぶ空想の原野を描いたリチャード・ブローティガン*16 の詩から取ったものだ。たしか1960年代の詩だったと思う。*17
このタイトルから僕はボス*18 の「快楽の園」を連想した。それで僕はこの2つを合体させようと思った。精一杯の愛を注ぎ込んでこの絵を描いた。僕は永遠に若いという原画のテーマに代えて人物にしわを描き込んだ。それで「永遠の」という言葉をタイトルに加えた。これはおそらくはブローティガンの時代には知られていなかったコンピュータの力に対する賛同の気持ちを示したものだ。それは作品に込められた僕の不安を表したものでもある。

AK: オクスフォードのラスキン美術学部の時代にあなたは大きな目標を立てていました。それは巨大な祭壇画を描くという目標で、学生はもっぱらコンセプチュアル・アートを描いていた当時のラスキンではきわめて異例のことでした。

それ以降もあなたはキリスト教の宗教的なモチーフに何度か取り組んでこられました。時には嘲笑的ないし破滅的に。1940年代のナチスドイツの電撃戦の記念日に2010年にロンドンのセント・ポール寺院に展示されたレッド・マンハイムの2部作、パウル・エーゲル*19 のマンハイム祭壇(1739年-41年)の残骸をモチーフとした作品ですが、あの作品はラスキンの時代の目標を達成させたものだったのですか。レッド・マンハイムのプロジェクトについて聞かせてください。

MA: うん、多分そうだね。これまでその2つを結びつけて考えたことはなかったけどね。マンハイム祭壇の残骸のことを知ってから二三年して作品制作を決めた。ベルリンにいた時に木彫家のベルナルド・ランカースととても親しくなった。彼のスタジオにこの巨大な祭壇の残骸があった。それは第二次世界大戦中に取り外された木製の背景板だけだった。祭壇の彫刻と装飾品は取り外してフリードリヒスハインの倉庫に保管され、背景板はボーデ美術館の地下で放置されていた。不運にも、倉庫の彫刻と装飾品はロシア軍が攻め込んだ時に火災で破壊された。残ったのは高さ8メートルの巨大な背景板だけだった。取り外された跡の空白に僕はとてもスリリングなものを見たんだ。

AK: あなたとキリスト教の図像学との関わりについて説明してくださいませんか。例えばカイ・アルトッフ*20 のように、あなたと同時代のアーティストで宗教への回帰を作品に盛り込んだ人はいます。しかし、宗教への回帰は現代アートシーンではとても風変わりなものとみなされてしまいますが。

MA: キリスト教の図像学はアーティストである僕たちの誰もが内に秘めているものだ。それから逃れることは難しい。僕はいつも自分が信じられるものを制作しようとしてきた。現代アートの世界でキリスト教美術の位置づけがとても風変わりなものになっているのは確かだ。僕は角に宗教的な作品は作れないけど、マンハイムのような作品の場合、そこに失われているのは宗教だ。作品から見えるのはそこにあったものの痕跡だけだ。ボスの「キリストへの嘲り」の場合、キリストが嘲っているように見える。だから僕はすべての人物の手に穴をあけてしわがより始めたように描いた。

AK: そこから沼沢地(Bog)シリーズが始まったのですか。

MA: その質問は面白いね。そうだね、そこから僕は沼沢地シリーズを始めた。欧州では沼沢地で儀式の際に、また異端者として多くの人が殺された。さっきキリスト教の図像学は僕たち誰もが内に秘めているといったけれど、それは西洋のアーティストのことを指している。それらの死体はグリューネヴァルト*21 の磔刑画のなごりなんだ。皮膚の色が脱色し、手足はよじれている。沼沢地で発見された死体にはキリストの復活の含意がある。死体は空虚な影をリアルにしたものだ。水晶の中に封印された聖テレサの化石化した手足のようにね。死体は人間を神話に変えた遺物なんだ。

AK: あなたはよく伝説的な傑作を描き直しています。例えば、ヴァン・ゴッホの「医師ガシェの肖像」(1890年)とか。ほとんど真っ黒に描いたThe Blacker Gachetの連作(習作とその5~その13。2005年-6年)であなたは原画のモチーフをほとんど見えなくしました。まるで原画からすべての生命を引き出してしまいたかったようです。ヴァン・ゴッホの有名なひまわりの絵を描き直したVia Negativa V-XIII(2009年)ではあなたは原画のまばゆい色彩を灰色の陰にしてしまいました。
あなたが有名な傑作や図像を再構成し、あるいは取り込むもう一つの方法は反復、複製、ごくわずかのニュアンスを持たせた双子の作品を制作するというものです。最近の個展Ground and UngroundであなたはGarden Boyと盲目のGarden Boy(いずれも2012年)を展示しました。モチーフにわずかなニュアンスのあるこの2作品は並べて展示され、存在感を醸し出しています。この展示であなたが確立した沼沢地シリーズの暗い、泥のような描法で描かれた少年たちは地球外の生物、見慣れない動物のように見えます。ニュアンスを持たせた双子の制作はあなたにとってどういう意味があるのですか。

MA: この方法を最初に使ったのは医師ガシェの連作だ。私は13点描いた。僕は医者とヴァン・ゴッホの間の物語に魅了された。ガシェ医師は自分でも絵を描いたしコレクターでもあった。彼はアートと複雑な関係を持ったようだ。彼は友人の絵の複製を描いてそれにその友人のサインを入れたり、自分のサインを入れたりしたらしい。ヴァン・ゴッホは最初のうちはガシェ医師を尊敬していたけれど、後には彼を嫌いになった。この連作を制作していた時、僕は作品と一体化していた。自分がとても黒いと感じたのでヴァン・ゴッホの原画から色彩を消してしまったんだ。それで作品がだめになってしまうと思っていたけど、驚いたことに、そこに生を感じたいという強い気持ちが残っていた。13点描いてお終いにしたけれど、一般的に言って、僕が2点目を制作するのは1点目で何かを描けなかったと感じたからなんだ。自分の作品よりも原画はいつもたいてい素晴らしくて僕は嫌になるんだけれどね。13のVia Negativaの連作もヴァン・ゴッホへのオマージュとして制作した。僕は彼がひまわりの連作を13点制作しようとしたんだと思う。彼のひまわりの絵はどれもナショナル・ギャラリー所蔵の絵のヴァリエーションだ。それに触発されて僕は連作を描いた。

AK: あなたの作品や連作にはある種の存在論の次元があるように思います。あなたの作品はそれ自体として内的な生命を持っているように見えます。完成後も変化し続ける沼沢地(Bog)シリーズの堅そうな厚く塗られた油彩であれ、多くの人物が生き生きと謎めいて自由にうごめく、ヒエロニムス・ボシュの中世のモチーフを応用した作品であれ、対象がまるで解体し続けるような寓意を持つオジマンディアスであれ。あなたにとって絵を描くというプロセスはどのくらい大切なのですか。あなたは絵画が完成後も物理的な後生を持ちうると思いますか。

MA: それはとても大事なことだね。人は何時も自分の作品が命を持つと感じられる瞬間を追い求めている。作品が他人の心の中に生き続けるとすればそれは素晴らしいことだ。でも、作品が長い後生を持つかどうかはその作品が将来文化的な価値を持つかどうかにかかっている。あなたが「動き」について言ったことは興味深い。沼沢地(Bogs)で発見される死体は動きのあるポーズをとっていたり、死人として不快なポーズをとらされていたりすることがある。だから僕は死を強く感じさせる輪郭を持ったイメージを選んだ。Ground and Ungroundに展示した刈り取る人(The Reaper)と種蒔く人(The Sower)はほとんど彼らの生のアンチテーゼになっている。刈り取る人は死を刈り取り、種蒔く人は彼自身の破壊の種を蒔いている。あなたの指摘で僕は昔抱いた強い思いのことを思い出したよ。オクスフォードを卒業したばかりの頃、Sensationの展示*22 を観て王立アカデミーから出てきたとき、ぼくはダミアン・ハースト*23 の作品にとても興奮していた。僕は彼の考え方が好きだったけど、彼は的を射ていないと思った。近似値ではなく本当に偉大なものを作品に盛り込みさえすればよいのにと思った。かれはヴィクトリア朝の好奇心のモデルを採用した。しかし、僕たちは対象に好奇心を感じられないのでそれはうまくゆかなかった。興味を引くものを作品にすればよかったんだ。陳列ケースに本当に面白いものを収めれば素晴らしかったんだけどね。

AK: ほとんどコンセプチュアルアート、絵画以後と言えそうなアイディアをあなたが持った時期があります。つまり、絵画それ自体ではなく絵画というジャンルの制約を超えた意味を持つものとして絵画を見ようとした時のことです。あなたはドキュメンタリーへの関心や(政治的な)意味の追求に触れました。その意味ではあなたはまさに現代のアーティストです。あなたは何かを再び主張したり言い直したりするために時代の権力のダイナミズムを無力化しようとして、色彩を白黒、灰色、茶色だけに減らしたり、絵画を物質的で寓意的なものにしたりします。同じような技法はゲアハルト・リヒター以後の世代の画家、例えばウィルヘルム・サスナル*24 やリュック・タイマンス*25 にも見られます。しかし、あなたの作品は彼らとははるかに隔たっているように見えます。あなたは、英国人としてこうした世代の画家におけるご自身の位置をどのように見ていますか。

MA. そうだね。リュック・タイマンス、アンセルム・キーファー。*26 彼らは文化的な遺物を制作していると思う。対象を白黒にすることでね。重みが加わるんだ。学生の頃、アンセルム・キーファーにとても興味があった。かれらは歴史の傷をひっかき、切り裂いてまた縫い合わせていると思った。その後、ベルリンでキュレーターのハイナー・バスチアン*27 と一緒に仕事をしていた時、この2人のアーティストの作品によく接した。でも、僕のやり方は彼らとは違う。英国の哲学者のマルコム・ブル*28 が僕についてエッセイを書いたことがある。彼は、僕がいつも何かに取り組むとそれについてアイディアがもう見えなくなるまでとことん取り組むと書いている。これが当たっているかどうか、その時ははっきりしなかったけど、こういう考え方は面白いね。面白いのは後に何が残るかだ。タイマンスの脱色は初期のリヒターのぼやかしと同じく公式な考え方だ。こうした技法はアートの実践における議論を再開したり延長したりするために用いられた。僕はむしろウィリアム・ブレーク*29 に近いと思う。僕にとって絵画とは何よりも無垢と経験の歌*30 なんだ。僕たち英国人は北欧の人よりも情緒に浸るのが快適なんだと思う。

AK: 盾(Shields)のシリーズを別にして、あなたはキャンバスを厳密に確定したりキャンバスにこだわったりしてきませんでした。作品のモチーフはたいてい過去に淵源があります。絵画は本質的にノスタルジックで保守的な活動だと思いますか。マルコム・マクラレンが「死んだ組織」と評したことがあるノスタルジーについてはいかがですか。あなたは絵画が今日でも貢献できることがあるとお考えですか。あなたは「トレンドに逆らって進む」と言われることがあります。アートの現代的な感性においてあなたが比較可能である、あるいは理解可能であるとみなされることはどのくらい大切なことですか。

MA. 「死んだ組織」というのは面白いね。僕に絵具をくれれば、僕は現代の「死んだ組織」を描きたいよ。ノスタルジーについてもう気にする必要はないね。現代は動きが早く、何でもすぐにノスタルジックになってしまう。うん、絵画は保守的だと思おう。絵画は見た通りだ。でも絵画が伝えられるものは保守的だとは限らない。

AK. あなたの作品はとてもメランコリックで曖昧で痛みを伴っていますが、あなたはご自身を楽観主義者だとおっしゃる。オジマンディアス(1998年-99年)についてあなたは「とても痛々しい」と言う一方で「とても力強い」とも言っています。絵画における力についてどのようにお考えですか。痛みという暗黒のロマン主義は力と関わりがありますか。どういう力なんでしょうか。共感ですか。死の必然性ですか。それともこうした感情の普遍性ですか。

MA. そんなこと言ったっけ?それはとても力強いと言ったとすればそれは痛々しいね。オジマンディアスで僕は轢かれた犬の遠吠えを聴く痛みを表したかった。そうしたものを聞く内心の静かな痛みを表したかった。人間として、僕はニヒリズムと戦っている。絵画は多分その助けになる。

AK. あなたが沼沢地(Bog)シリーズを描き始めたとき、それはあなたにとってどういう意味があったのでしょう。

MA. 沼沢地シリーズは僕にとって自分の心の中にあることの不思議な残余を探すための手段なんだ。

AK. 2012年のロンドンの最初の沼沢地シリーズの展示のタイトルは16世紀ドイツのキリスト教神秘主義者・リン学者ヤコブ・ベーメ*31 からの引用でした。ベーメは世界が調和を取り戻す不断の再生のプロセスの一般として宇宙が悪を取り込んでゆくという体系を唱えました。あなたの一連の作品には、パウル・エーゲルのマンハイム祭壇(1793年-41年)の残骸のアダムとイブにモチーフを得た絵画、デューラーの「祈る手」(1508年頃)、ジャン・フランソワ・ミレーの「種蒔く人」(1850年)、ヴァン・ゴッホの「鎌で刈る人(ミレーにちなんで)」(1889年)、カラバッジョの「ナルシス」(1597年-99年頃)が含まれます。あなたはなぜヤコブ・ベーメを受け入れたのですか。現代アーティストとしては珍しい選択ですが。そして、こうしたモチーフの選択の理由は何ですか。こうした連作には何か特有の物語があるように思えます。

MA. それはね、Ground and Ungroundという展示のタイトルから来ているんだ。ボッシュの「この世の喜びの庭」に基づいている「すべては無限の愛の恩寵の機械に見守られている(All Watched Over By Machines Of Infinite Loving Grace)」と言う作品を仕上げたときにモチーフを選んだ。庭に沼沢地があってそこにこれらの作品が置かれているという仕掛けを思いついたんだ。それだけのこと。ナルシスとアダムとイブは別だけど。これらは仕事の概念に基づいている。大地でこつこつ働き、庭の世話をするというね。仕事が大事だという考えだ。そこからAmerican Bog*32 のモチーフを思いついた。物事の起源にいつも興味があった。いつも何かがあったのか、それとも無から物事が生まれたのか。絶対的な無という神秘主義的な伝統がある。僕がひまわりの連作のタイトルにしたVia Negativa(無の道)。これは無知の雲*33 と関係がある。Blacker Gachetが見つめている無だ。神秘主義哲学者のヤコブ・ベーメがこの無にUngroundという呼び名を付けたことを読んだんだ。それで僕はグランドでないグランド、物事を変えるグランドのことを考えるようになった。泥炭の沼沢地みたいにね。Gound and Ungroundはそこから物事が生まれる無のことを想像させるプロジェクトのタイトルにふさわしいと思った。

AK. ニューヨークで(そして米国で)最初の個展のテーマとして、あなたは沼沢地(Bog)シリーズをアメリカの文化・政治の究極的なシンボルに展開することにしました。リンカン、ケネディ、ミッキーマウス、米国の国旗です。アメリカで最初の個展としてこうしたモチーフを思いついたのはやはり素材に関するあなたの創造的な発想からですか。

MA. ベルリンから英国に戻った時、リンとイブリン・ロスチャイルドがバークシャーにスタジオを用意してくれた。盾シリーズをそこで始めて、最終作品を仕上げた。それから突然内向きから外向きに変わったんだ。それで、2008年から米国をテーマとして考えるようになった。沼沢地(Bog)は対象を選ばない。そこに落ちたもの・人は誰でも犠牲になる。だからテーマの選択は自由だった。僕自身の美的な発想からモチーフを選択した。

AK. アメリカの沼沢地(American Bog)シリーズの中では先人たちの歴史を辿る変人(The Freakes)はやや特異ですね。密度の濃いこの連作について教えてください。

MA. 素敵なモチーフだ。彼らはアメリカに最初に定住した家族の一つだと思う。「マドンナとその子」の感じがあって、そこがとても気に入っている。とても優しいんだ。これから連作をスタートするのがいいと思った。

AK. アメリカの沼沢地の個展にあなたは何枚か国旗の絵を出されています。このモチーフの意味合いについて説明してください。

MA. 1777年の原型となったものを含めていくつかのヴァージョンを描いた。このモチーフが沼沢地にとらわれたというイメージがとても気に入った。この技法は多くの絵の具を使い、油で厚塗りする。その時の気分や大気の状態で乾燥、表面の状態や意味合いにヴァリエーションが生まれる。アメリカの沼沢地の連作にはいくつかの原型がある。先住民についてよく調べてみたいと思ったので、先史時代のアメリカについても勉強した。ロサンゼルスのラブレア・タールピット*34 のことを調べているよ。

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1) American Bog. 2013年のニューヨーク、Broadway 1602画廊での個展のパンフレットに掲載された。
2) Anke Kempkes, Broadway 1602画廊(ニューヨーク)オーナー・キュレーター。
3) フランスの啓蒙思想家ヴォルテールが1759年に発表した小説。
4) 「芸術家の生涯:マーク・アレクサンダーインタビュー 」(Arté Magazine 17号(2005年春・夏号)
5) 「芸術家の生涯:マーク・アレクサンダーインタビュー」からの引用。
6) Delfina studios. 1988年設立の非営利団体。新興・中堅のアーティストにアトリエを提供する事業を行っている。
7) Keith Tyson. 1969年生まれの英国の画家。2002年ターナー賞受賞。
8. Urs Fisher. 1973年生まれのスイスの彫刻家。
9) Gerhart Richter. 1932年生まれのドイツの画家。ドイツ最高峰の画家と称される。
10) Ethan Wagner. ニューヨークベースのアートコレクター顧問業TWAASの共同経営者。
11) Ethan Wagner, “An Introduction to Mark Alexander, the Painter”, in Mark Alexander: The Bigger Victory (ロンドン・Haunch of Venison画廊の個展のカタログ)。
12) 表面に対候性の強い錆を付着させた鉄鋼。
13) Kelly Grovier, “Mark Alexander”, pp.1-2. (2009年のエッセー)
14) Richard Serra. 1939年生まれの米国の彫刻家。
15) Adam Curtis. 1955年生まれ。「すべて恩愛に満ちた機械が世話をしてくれる」は2011年にカーティスが制作したBBCのドキュメンタリーシリーズ。
16) Richard Brautigan. 1935年生まれ、1984年没の米国の作家、詩人。
17) ブローティガンの原詩は1967年刊行。
18) Hieronimus Bosch. 1450年頃-1516年。ルネサンス期フランドルの画家。三連祭壇画「快楽の園」は1480年から1500年の間の制作と伝えられる代表作の一つ。
19) Johan Paul Egell. 1691年-1752年。ドイツの彫刻家。
20) Kai Althoff. 1966年ケルン生まれの画家。
21) Matthias Grünewald. 1470/75年頃-1528年。ドイツの画家。ドイツ絵画史上最重要作品と言われるイーゼンハイム祭壇画(凄惨な描写のキリスト磔刑像で知られる)の作者。
22) Sensation: Young British Artists from the Saatchi Gallery. ロンドンの王立アカデミーで1997年9月18日から12月28日まで展示された。英国の若手現代美術家グループYoung British Artists (YBA)の作品を展示し、大きな反響を呼んだ。ベルリン・ニューヨークに巡回。
23) Damien Hirst. 1965年生まれの英国のアーティスト。YBAの中心メンバーの一人。
24) Wilhelm Sasnal. 1972年生まれのポーランドの画家。
25) Luc Tuymans. 1958年生まれのベルギーの画家。
26) Anselm Kiefer. 1945年生まれのドイツの画家。
27) Heiner Bastian. Gallery Bastian経営。
28) Malcolm Bull. 1992年以来オクスフォードのラスキン美術学部で美術講師を務める。
29) William Blake. 1757年-1827年。英国の画家、詩人、銅版画家。
30) The Songs of Innocence and Experience. 1794年刊行のブレークの詩集。
31) Jacob Böhme. 1575年-1624年。ドイツのキリスト教神秘主義者・神学者。
32) American Bog. 2013年の個展。Broadway 1602 Gallery.
33) Cloud of Unknowing. 14世紀後半成立。中世英語で書かれたキリスト教神秘主義の作品。作者不詳。
34) ロサンゼルス郊外にある天然アスファルトの池。多くの化石が発見されている。

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